瞑想アプリを三回入れて、三回消しました。呼吸を数えろと言うのに、数えていると数えるのを忘れて、うまくやれているのかわからなくてやめたのです。そんなある夕方、スマホを引き出しに入れて、することがなくてただ座っていたら、それが私の探していたものでした。
瞑想が難しいのは、技法のせいです。呼吸を数え、考えに気づき、うまくやれているか確かめることが、もうひとつの課題になります。ただ座っていることには、技法がありません。座って何もしなければ、それがすべてです。考えが浮かんだらそのままにして、体が動きたければ動いて、5分が過ぎたら立ち上がります。上手も下手もないので、やめる理由もないのです。
瞑想そのものが難しいのではなく、瞑想をうまくやろうとする心が難しいのです。アプリは呼吸を数えろと言い、考えが浮かんだら気づけと言い、何日やったか数えてくれます。すると、座っている時間がもうひとつのやるべきことになる。私は呼吸を数えながら、ちゃんと数えられているか心配し、心配する自分が瞑想の下手な人のようで、また心配しました。
ここにスマホがくっつきます。瞑想アプリはスマホのなかにあるので、つけた瞬間通知が見えて、終わった瞬間別のアプリへ行きます。休もうとつけたスマホが、休む時間の前後を刺激で満たすのです。瞑想が合わないのではなく、スマホのなかの瞑想が合わなかったのでした。
ただ座っていることには、技法がありません。席に座って、何もしません。目は閉じても開けてもよく、呼吸は数えず、考えが浮かんだらそのままにします。上手も下手もないので、確かめることもありません。
| 瞑想アプリ | ただ座っていること | |
|---|---|---|
| 準備 | スマホをつけてアプリを開き、プログラムを選ぶ | 座る |
| すること | 呼吸を数える、気づく、案内に従う | ない |
| 考えが浮かんだら | 気づいて呼吸へ戻る | そのままにする |
| うまくやれているか | アプリが何日やったか教えてくれる | わからないし、知る必要もない |
| 終わったら | スマホが手にある | 立ち上がる |
最後の行が、私にはいちばん大きかった。スマホなしで座っていれば、終わったとき手に何もありません。その空の手で台所へ行ったり子ども部屋をのぞくことが、瞑想アプリを閉じてメッセンジャーを開くことと、夕方の残りを別のものにしました。
浮かびます。必ず浮かびます。今日できなかった仕事、明日の子どもの持ち物、さっき言った言葉。瞑想ではこれに気づいて戻れと言いますが、ただ座っていることには戻る場所がないので、そのままにします。考えは、追いかけなければ過ぎていきます。過ぎずにつかまっても、それでいいのです。5分後に立ち上がればいいのですから。
目を置く場所があると、楽です。窓の外、ろうそくの火、壁の一点。目の行き場があれば、考えにつかまったとき目が戻ってきて、目が戻れば考えも流れていきます。ムルモンが簡単な理由と同じです。
ただ座っている時間は、終わってみると何も残らない気がして、続けにくいものですよね。Sumbiで座る前に10分の潜水を始めてスマホを別の部屋に置けば、立ち上がって潜水を終えるとき貝がひとつ開いて、海の生きものが私の海に入ってきます。技法はなく、結果だけが残ります。
私の海をつくる →タイマーを掛けると、それも課題になります。代わりに、終わりの合図を別のものに任せてください。お茶が冷めるまで、窓の外が暗くなるまで、子ども部屋から物音がするまで。私は茶わんが冷めたら立ちます。だいたい5分から10分で、正確である必要はありません。
どこに座るか毎回決めていると、やらなくなります。場所をひとつ決めてください。私はベランダの窓辺の座布団です。夜9時にスマホを引き出しに入れて、子ども部屋をのぞいて、その座布団に座る順序が体についたら、座るかどうか悩むことがなくなりました。
じっとしていなければいけないというルールもありません。脚がしびれたら伸ばして、首がこわばったら回して。瞑想ではこういう動きにも気づけと言いますが、ただ座っていることでは、ただ動けばいいのです。ルールがないことがルールです。
子どもが起きているときは、5分もありません。子どもが眠ったあとがいちばんよくある時間で、子どもがひとりで遊ぶあいだ、そばに座っているのもありです。子どもが話しかけたら答えて、また座ります。完璧な静けさはなく、そんな静けさがなくても、座っていることはできます。
手放した日の一行。三回消した瞑想アプリが教えてくれたのは、私ができない人だということで、ただ座っていることが教えてくれたのは、うまくやる必要がないということでした。
この記事は一般的な情報であり、医学的な助言ではありません。睡眠や日常生活への支障が続く場合は、専門家にご相談ください。